大和田宿の衰退

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 明治37年(1904)、東京・成田間に鉄道を通すことが国から承認され、京成電気軌道(きどう)株式会社が発足します。大正15年(1926)12月24日には、成田まで全面開通し大和田駅も作られました。これを境に東京からの参拝客の多くが鉄道を利用するようになり、大和田宿も宿場としての役割を終えることになります。