八千代台団地

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 松林が切り開かれ、昭和30年には、協会による住宅の第1回分譲を開始しました。団地と言っても、その特徴はゆったりとした敷地に伝統的な木造建築の平屋一戸建てでした。

協会の八千代台団地(戸建て)

 また、同年に国の政策で発足した日本住宅公団(現UR都市再生機構)が、団地の西側に当時まだ珍しいテラスハウスを建設しました。

公団の八千代台団地(テラスハウス)

 テラスハウスは、1棟に6~8戸が連続する2階建てのコンクリートブロック造で、庭付き・ステンレスの流し・キッチン・水洗トイレ・浴室が完備した近代的な住宅でした。決して安い金額ではありませんでしたが、洋風の生活に憧れる若い層から注目され、「ダンチ族」という流行語が生まれました。しかし、従来の木造住宅には見られない「結露に弱い」という弱点がありました。
 これら2つの八千代台団地の特徴は、水道・ガスの供給が整備されていることでした。当時の住宅水準が「水道完備・ガス見込み」であったため、全国的に注目を集めたのです。
 しかし、入居時当初の実態は計画と大きな隔たりがありました。八千代台駅はまだ開業しておらず、また、電気・ガス・水道(給水車)の設備が十分ではないため、電気ではなく灯油ランプの生活でした。
 昭和31年に、水道・ガス事業開始、八千代台駅開設により改善が図られ、昭和32年に八千代台団地が完成しました。人口増を見越して八千代町立八千代台小学校も設置されました。
 明治以来、習志野騎兵旅団が駐屯し、その練兵場であったこの地が大きく生まれ変わり、全国の住宅団地の先駆けとなったのでした。今から見れば大団地とは言えませんが、団地誕生の歴史を振り返れば、非常に意義深いものです。
 その後もこの地域の開発は進み、八千代台東団地や八千代台西団地が建設されました。

開業当時の八千代台駅


プレハブ校舎の八千代台小学校(右奥は駅)