印旛沼沿岸地域である八千代の地は、中世以前には、「香取(かとり)の内海(うちうみ)」と呼ばれる広大な内海の周辺に位置し、豊かな水資源に恵まれていたため、古くから栄えた地域でした。
奈良時代の万葉集の防人の歌の詞書(ことばがき)には、「印波郡(いにはのこおり)」という地名が登場します。
以来、市制50周年を迎える今日まで、八千代の地は様々な名前で呼ばれてきました。ここでは、古くから登場するムラの名や新たに作られた村の名など、市域の変遷を紹介します。
古代の香取の内海の想定図 (吉田東伍「利根治水論考」より一部加工)