古墳・奈良・平安時代(律令制の成立)

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 6世紀後半から7世紀ごろにかけて、国造(くにのみやつこ)という姓(かばね)が有力な豪族に与えられました。そのひとつが印波国造(いんばのくにのみやつこ)です。その地域や地位は世襲され、その後印波評(いんばのこおり)(後に印波郡)が成立し、やがて後の律令国家における国・郡・郷・里の行政単位が成立すると、印幡郡(いんばぐん)となりました。国府は現在でいう市川市にありました。
 先に触れたように、八千代市で発見された8世紀の墨書土器には、「下総国印播郡村神郷」という地名が記されていました。また、萱田や高津も市域に古くからある地名であることが史料から分かります。
 このように、1000年以上も前から残る地名が今でも使われているのです。
 墾田永年私財法などの影響により荘園が生まれ、土地や税を巡って地方武士団と国司との対立が生まれることで、古代の終焉を迎えるようになりました。