大正時代(産業の発展と京成大和田駅の完成)

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 各町村の人口は3千人を超える程度でした。八千代を代表する産業となった梨作りが始まったのもこの頃でした。旧制中学を卒業したばかりの2人の青年、阿蘇村の宮崎さん等が、当時行われていなかった梨作りをゼロから始め、その努力が実ったのは戦後を迎えてからでした。
 大和田町は、明治時代に始まった養蚕業を中心に産業の発展に力を注ぎ、睦・阿蘇村も養蚕に加わりました。大和田繭市場が設立されるなど、かっての宿場町は一変して県内有数の養蚕地となりました。大正15年(1926)に京成電気軌道(けいせいでんききどう)が大和田駅を設置すると、大和田町は更なる発展へと向かっていきました。