2 闘鶏場(当時)


撮影 田中幸太郎
 現在は住宅地になっています。農閑期の娯楽として、「軍鶏(シャモ)」同士を闘わせる、「闘鶏」が行われていました。東光はその様子を描くにあたり、全くの口伝であった闘鶏に関する用語等について丹念に調べ、100枚前後の原稿を完成するのに、実に2ヵ年余りを費やしました。

※地名は小説中での表記を引用しています。
…土俵の傍では今日の花形である鶏結びの倉平爺さんが焚火に股をあぶりながら、相好を崩して皆の雑談に耳を傾けている。彼等の話の大部分は今日の番附(ばんづけ)に出る軍鶏(しゃも)の噂だった。風を避けた日当りに二三十以上の鳥籠が並び、その一つ一つに張り切った軍鶏が入れてある。客の何人かは鳥籠に鼻を押しつけんばかりにして軍鶏を鑑賞していた。勝負は既にはじまっているとみえ、森閑(しんかん)とひそまり返り、じっと息をつめている気配だった…

(巻之一所収 「闘鶏」より)