第一節 行橋市の地形概観

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 行橋盆地は本来三方を山地に囲まれ、東側には周防灘に浮かぶ蓑島を望む内湾状の臨海平野であった。すなわち、市の北側には苅田町の中核を形成している中起伏山地で周防変成岩類よりなる高城山(四〇五・九メートル)の山塊があり、また、平尾台カルスト(石灰岩地)の北に位置する平尾花崗閃緑岩類より形成された山峰、水晶山(五三一・二メートル)、その西に貫山(七一一・六メートル)が位置する。

 さらに、北西側には国指定天然記念物・平尾台カルスト(四〇〇~六八〇メートル)の石灰岩台地が分布する。この台地は北東から南西方向に長さ約七キロメートル、幅約二キロメートルの石灰岩台地である。この石灰岩層は古生代末(約三億五五〇〇万~二億五〇〇〇万年)にサンゴ礁として形成された石灰岩層がその後の変成作用(平尾花崗閃緑岩の貫入など)により結晶質石灰岩になったものである。この台地は北端部が塔ケ峰(六四〇メートル)、南端部が竜ケ鼻(六八〇・六メートル)と高く、中央部の平尾集落付近では四〇〇メートル程度と中くぼみになっている。また、市の西端部には周防変成岩より形成された塔ケ峰(三九六・一メートル)、上矢山(三六四・〇メートル)、勝山町・障子ケ岳(四二七・三メートル)と連なる中起伏山地となっている。

 市域の南端部は後期白亜紀(約一億年前)に貫入した真崎花崗岩類および周防変成岩類(約二億年前に変成)の古期岩類よりなる山並、すなわち、西より飯岳山(大坂山。五七三・〇メートル)を、最高峰としてほぼ東西に連なる御所ケ岳(二四六・九メートル)、馬ケ岳(二一五・一メートル)、矢留山(九三・九メートル)と続く。この山並は中起伏山地から小起伏山地、丘陵地へと西から東にかけて低くなっている。この山列によって南側の犀川町、豊津町と境されている。しかし、行橋臨海平野と内湾、蓑島との間は江戸期より続く、干拓・埋立事業により、完全に陸続きとなっている。したがって、市の東部も周防変成岩類よりなる丘陵地蓑島(六〇・九メートル)、沓尾山(八二・〇メートル)、須佐神社(七六・三メートル)、覗山(一二一・七メートル)と北から南に連なる丘陵地帯によって完全に周防灘から隔離されて行橋盆地を形成している。

 行橋盆地の基盤は中生代後期白亜紀(約一億年前)に貫入した火成岩、平尾花崗岩閃緑岩で、その上に第四紀更新統(約一七〇万年より新しく堆積した層)の河川段丘堆積物が高位段丘(標高、九〇~五〇メートル)、中位段丘(標高、三〇~一五メートル)、低位段丘(標高、一五~一〇メートル)を形成して平野部を取り巻くように分布している。

 さらに、これら更新統の上に完新世堆積物(一万年より新しい堆積物)が行橋平野最上部層を形成し、沖積面を構成している。東部の沓尾より連なる丘陵部の東、周防灘に面した海岸地域(長井、稲童浜地域)、すなわち、北北西から南南東にかけて、低位段丘に属する海岸段丘が発達している。この海岸段丘は周防灘より吹きつける風による砂丘として発達したものである。

 行橋盆地内に発達する河川はすべて、周防灘に注いでいる。すなわち、北側より小波瀬川、長峡(ながお)川、今川、江尻川、祓川、音無川などがそうである。

 これらの河川は前述のとおり、北、および西側の古期岩類を水源とする、小波瀬川、長峡川、今川の水系列と、南側の第四紀安山岩質火山岩類を水源とする江尻川、祓川、音無川の二系列に分かれる。古期岩類を水源とするものは河川勾配がゆるく、長峡川〇・一四度、今川〇・一八度に対し第四紀火山岩類を水源とするものは祓川〇・四二度で代表されるように急勾配であるのが特徴の一つである。また、古期岩類に発達する河川は支流に富んでいる。

 小波瀬川水系は苅田町との境界付近を西側より東流して最下流部において長峡川に合流して蓑島の北で周防灘に注いでいる。しかし、本来、小波瀬川は直接、周防灘に面した行橋内湾に注いでいたものであるが、江戸期以降の干拓・埋立により最下流が長峡川に合流したものである。

 長峡川水系は上矢山、障子ケ岳、飯岳山といった周防変成岩類分布域の西側古期岩類を水源とし、また、盆地内の平尾花崗閃緑岩の各丘陵地の水を集め、支流を発達させて盆地の中央部を東流して蓑島の北側で周防灘に開口して注いでいる。

 今川水系は、ずっと南側に位置する第四紀火山岩類(安山岩類)より形成される英彦山(一二〇〇・〇メートル)、犬ケ岳(同じく第四紀安山岩類。一一三一・〇メートル)の山塊を水源としている。今川は真崎花崗岩類分布地の犀川盆地を経て、下流部が行橋盆地に南より流入し、行橋平野を経て長峡川と同じく蓑島の北に開口している。今川水系で特筆されるのは、流域の大部分が古期岩類分布域であり、また、中上流部の赤村油須原で遠賀川水系御祓(みそぎ)川の上流を河川争奪(波多江、一九七七)して犀川盆地に入り、行橋盆地に流入していることである。したがって、今川は古期岩類の水系とみなすことができる。

 江尻川は今川と祓川の間に挟まれた、行橋盆地内の水を水源として発達する小水系である。平野内に小支流を発達させている。江尻川も蓑島の北に今川に沿って開口している。

 祓川水系は、今川と同じく、英彦山、犬ケ岳山塊を源流とする第四紀火山岩類(安山岩類)地域の水を集水して発達する水系である。

 この祓川は安山岩質火山岩類より集水して南から北にほぼ直線的に流れ下っている。したがって、支流も少なく、河川勾配も行橋盆地に流入する他の河川に比べて〇・四二度と急である。下流部が南側より行橋盆地に流入して蓑島の南に開口し、周防灘に注いでいる。この河川は英彦山系の鷹巣山付近より直線的に北流し、河川勾配も急なため、粗粒な火山岩の砂・礫を多量に行橋盆地内に運び込み、堆積させている。この堆積層は今川と祓川の間に広く分布する泉砂礫層(石井ほか、一九九四)で代表され、低位段丘を形成している。

 行橋市の最南端部には、第四紀火山岩類を主体とし、中位段丘を形成する新田原礫層(石井ほか、一九九四)の水を集水した小河川、音無川が周防灘に開口している。

 以上、述べてきたように、行橋市の陸水の便は極めてよく、海運・陸水運ともに古くより発達して来た。


図1 行橋市周辺の地形分類図 2004,太田正道調査・作図
この地図は国土地理院長の承認を得て50000分の1地形図「行橋」「蓑島」「田川」「中津」を複製したものである
(承認番号 平16九複 第20号) (国土地理院発行1/50000地形図「行橋」「蓑島」「田川」「中津」を改変)



図2 行橋盆地の接峰面図
等高線間隔は20m。幅1km以下の谷埋めによる(千田昇『豊津町誌』1985)