人類の歴史のなかで最初の段階を「旧石器時代」と呼んでいる。それは最初の人類が出現してから、寒冷な更新世が終わるまで、そして土器や弓矢、磨製石器などが使用され始める「新石器時代」までの間である。ただし、旧石器時代の特徴ともいえる打製石器は約二〇〇万年前にならないと確実な例が現れてこない。それ以前は石など道具の使用はあっても自然物と区別のつきにくい状態であったと考えられている。ともあれ、旧石器時代は人類の歴史の九九%以上を占める長い時代なのである。
さて、霊長類の中で人類がはっきりと区分できるのは、今から約四〇〇万年前だと考えられている。しかし最近、人類学の研究の進展に伴い、我々人類と類人猿との間に大きな断絶がないことも明らかになってきた。ヒトは他の動物よりも高等であり、複雑な言語を用い、社会や文化を保有する生物界唯一の存在であるかのように信じられてきた。ところが、チンパンジーやオランウータンなど類人猿の社会や行動が解明されるに従い、社会構成、狩猟活動、道具の製作、使用、文化の継承などヒト固有と見られた要件が類人猿にも存在することが明らかとなってきたのである。あわせて近年の分子生物学によるDNAなど遺伝子レベルでの関係も人類と類人猿との差異が極めて小さいことを示してくれた。人類の出現は突然に起こったものではなく、こうした類人猿の進化の中からたどれるのである。
現在地球上に住むヒトは全てホモ・サピエンス(知恵のあるヒトの意味)である。皮膚の色や骨格などの特徴からモンゴロイド、ニグロイド、コーカソイドなどに分けられ「人種」と呼ばれているが、本来は共通の「種」である。その差は表面的なごくわずかばかりの差に過ぎない。
人類出現への長い道のりは、化石人骨を捜し求める多くの研究者の地道な調査によって少しずつ明らかになってきた。これまで猿人や原人の人類化石はアフリカで多く発見されているが、旧人や新人の化石はユーラシア大陸の各地で発見されていて、各地で人類の進化を経て現代人になったと考えられていた。アジアでは原人から新人に至る人類化石の発見もあり、この地で独自にわれわれモンゴロイドへの道のりがあると最近まで考えられていた。しかし、こうした理解に対し近年の化石研究やDNA(デオキシリボ核酸)など遺伝子研究の発展は新たなシナリオを示しつつある。これまで明らかとなったおおよその人類史は以下のようにまとめられる(図1)。
今から七〇〇万年前頃、アフリカに生息していた類人猿のラマピテクスがヒトやチンパンジーなど類人猿の共通の祖先と考えられている。このラマピテクスから進化し、四〇〇~三〇〇万年前に出現した猿人(アウストラロピテクス)が最初の人類である。アウストラロピテクスは数百万年の進化を経て、我々現生の人類に進化するのであるが、その道筋は単純でない。アウストラロピテクスは発掘が進むにつれ、アファレンシス、ボイセイ、アフリカヌスなど複数に区分されることが分かってきた。さらに約二〇〇万年前に、アウストラロピテクスから進化し、同時に生息していた小型の猿人であるホモ・ハビリスが、その後の人類へ進化した種であると考えられるようになってきた。彼らは石器の製作、使用を行っていたことが判明している。
約一〇〇万年前にはアウストラロピテクスは滅び、ホモ・ハビリスから進化した原人(ホモ・エレクトゥス)が種として展開していく。この原人段階に初めて人類はアフリカからユーラシア大陸南部に広がっていくのである。アフリカからの拡散はシナイ半島から西アジアを経由することから、研究者たちはこれを旧約聖書にあるモーゼの「出エジプト」になぞらえて、「出アフリカ(アウト・オブ・アフリカ)」と呼んでいる。この出アフリカはその後、人類の拡散にともない幾度もおこなわれることになる。ユーラシア大陸東側では、初期の原人としてジャワ原人(ピテカントロプス・エレクトス)の化石人骨が発見されている。それはおおよそ一〇〇万~六〇万年前頃の年代と考えられている。またインドネシアのジャワ島モジョケルト、中国の元謀の原人化石は約一五〇万年前の最古のものと発表されたが、ほぼ同時期かそれ以後の原人化石とみる見解が多い。
このように東アフリカに端を発する人類は、この時期に初めて東アジアへ達するのである。初期の原人化石は中国北部や朝鮮半島ではまだ発見されていない。数十万年を費やし、彼らは温暖の地域からしだいに寒冷な北部へも生活領域を広げていく。地質学で更新世や第四紀と呼ばれるこの時期、地球は幾度も寒冷な氷河期と温暖な間氷期が繰り返したが、環境の変化が大きく、高緯度へ進出した人類にとって生活環境は決して穏やかではなかった。生存のためにはさまざまな工夫や努力が必要であった。こうした背景に石器など道具の改良や火の使用など、新たな技術の獲得がおこなわれ、人口の増加と寒冷地への対応を可能にしたと考えられる。有名な北京原人(シナントロプス)や和県人は数十万年前に中国大陸北部に達した後半期の原人である(図2)。
人類種の源泉とでも言えるアフリカ大陸、特に東アフリカでは原人(ホモ・エレクトゥス)の展開以後もさまざまな人類種の出現と拡大が続いた。そのなかでも約六〇万年前には旧人(ネアンデルタールなど)が西アジアからヨーロッパ地域に活動範囲を広げる。彼らは高い知能と運動能力をもつ優秀な狩猟民であったが、次なる人類ホモ・サピエンスの出現とともに滅びていった。約一六万年前に出現したこの新人(ホモ・サピエンス)こそが唯一現代人につながる人類なのである。東アフリカから大陸全土へと拡散を始めた新人は、おおよそ四~五万年前までには東アジアに到達したと考えられる。中国の山頂洞人や朝鮮半島の晩達里人、日本の港川人などはその代表である。もっとも日本列島では化石人骨の発見が極めて少なく、大陸や半島の資料との関係を知るための研究はこれからの課題である。