約一〇〇万年前に東アジアに達した人類である原人(ホモ・エレクトゥス)が日本列島にいつ渡来したかは明らかでない。同時期の絶滅動物層であるアカシゾウや野牛などの化石が列島の各地で発見されていることから、それらの動物とともに原人やその後の旧人が渡来した可能性を否定は出来ない。この時期と推定される石器類の発見も報じられているが、今後の調査・研究を待たねば確実な議論は難しい。現時点において日本列島で発見される人類の確実な生活痕跡は四~五万年前であり、東アジアにおいて新人(ホモ・サピエンス)の出現以降のものである。ただし日本列島のなかで化石人骨の発見がいまだにほとんどないことからも、それらの石器類が最後の旧人のものであるか、新たに登場した新人のものであるのかは不明であり、研究者間でも議論が分かれている。酸性の強い火山列島である日本では化石が残り難く、この時代の人類研究は石器から当時の人類の生活を探ることが主となっている。しかし、こうした石器を見ると形や石器を作る技術が、中国大陸や朝鮮半島と同じように変化していることがわかるのである。これは日本列島への人類の渡来が一度だけではなく、たびたび行われていたことを示している。
さて、こうした渡来のルートについては、三つのルートが考えられている。
①南西諸島沿いのルート
②朝鮮半島経由のルート
③千島列島沿いのルート
このうち千島列島沿いのルートなら寒冷期の冬場には流氷や氷結によって徒歩により日本列島へ渡ることが可能である。しかし、残りの二つのルートは寒冷期でも氷結は期待できない。ただし、旧石器時代に相当する更新世後期には数回の氷河期があり、その寒冷期には陸上の氷河や氷床の発達から海の水分が減り、相当の海面低下があった。約二万年前のヴィルム氷期最寒冷期には約一二〇メートルも海面が下がったとみられている。これだけ海面が下がると九州と朝鮮半島の間には、日本海と東シナ海をつなぐ幅十数~数キロメートルの流路があるだけとなる。南西諸島沿いのルートも今よりはるかに島間は近い距離で結ばれることになる。こうした時期に何らかの手段で海を越え、移住が行われたと考えられるのである。人類集団の日本列島への移住はこのように自然環境に助けられながら繰り返し行われた、と考えられるのである。