日本列島に住み始めた最初の住人は誰であったのか、またそれはいつであったのか誰もが興味をもつ点である。こうした問題は、岩宿遺跡発見以前から追求されていた。当初日本の最初の住人は縄文時代人であると考えられていたのである。岩宿遺跡の発見によって、日本に縄文時代よりはるかに古い人類の存在が明らかになった。と同時に、それでは旧石器時代はどこまで遡(さかのぼ)るのかという研究も始まった。小野忠煕氏は山陰地域の水晶製石器を古い旧石器として取り上げた。そして一九六〇年には角田文衛氏率いる古代学協会が大分県丹生遺跡を発掘し前期旧石器として大型の石器類を報告した。一方、芹沢長介氏は大分県早水台(そうずだい)遺跡を皮切りに星野、岩宿遺跡地点などから珪岩製石器を発掘し、前期旧石器としての研究を進めた。芹沢氏は三万年前を画期とし、それ以前を「前期旧石器時代」、それ以後を「後期旧石器時代」と呼ぶことを提唱した。しかし、肝心のこれらの石器について出土した遺跡の地形、地層の年代、それらの成因や、珪岩製石器に対して人工物であるのか、否かの認定についても賛否両論さまざま声が上がり、議論は進展しなかった。
一九七〇年代には火山灰研究が進み、日本列島の広域に堆積する共通の火山灰を探し出し、遺跡の同時性や時期区分に利用する試みが一層進められる。
こうしたなかで、一九八〇年代に宮城県馬場壇遺跡を始めとする遺跡から「前期旧石器」の発見が報じられたのである。その後宮城県上高森遺跡では約六〇万年前と推定される火山灰層から石器が発見されて、原人段階の旧石器とされた。日本列島に「前期旧石器」が存在することを認める見解が大勢を占めるようになった。ところが二〇〇〇年にこれらの遺跡は藤村新一という研究者によってすべて捏造(ねつぞう)されたものであることが明らかとなった。日本列島に原人段階の遺跡を探る研究は大きく歪(ゆが)められていたのである。
近年、捏造遺跡の検証や反省を踏まえて改めて確実な石器資料の探索が開始されている。
日本の古い旧石器は今のところ宮崎県後牟田遺跡や大分県早水台遺跡などの四~五万年前の石器である。大陸や朝鮮半島に最も近い位置にある九州は、旧石器時代にも人類の活動は当然予測されるのであるが、七~九万年前の阿蘇山の大噴火など、広域の厚い火砕流や火山灰がその発見を拒んでいる。これまでに発見されている旧石器はほとんど三万年以降の「後期旧石器時代」のものである。しかし、やがて九州の「前期旧石器時代」も厚いベールを脱いでその姿を見せてくれるに違いない。
なお日本列島での石器時代の化石人骨の発見は今のところ静岡県牛川人や沖縄県港川人だけである。人類の系譜を探るためにもこうした発見・調査を続ける必要がある。