後期旧石器時代

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 この時期になると遺跡は日本列島全域に確認され、遺跡数も急増する。遺跡の多くは台地や段丘の縁辺などに立地するが、居住地として稀(まれ)に岩陰や洞窟入り口部分を利用する例がある。住居跡は僅(わず)かであるが発見例がある。大阪府はさみ山遺跡、広島県西ガララ遺跡、北九州市椎木山(しいのきやま)遺跡などが報告されている。住居は浅い掘り込みと周囲を巡る細い柱穴からなり、簡素な竪穴式住居であったことがわかる。しかし、こうした住居跡も多くの発掘調査にもかかわらず、発見例が少ないことからみて、一般的にはもっと簡単な平地式の住居であったと考えられる。このほかに遺跡で発見される遺構としては礫群(集石)や炉跡、落とし穴などがある。礫群は河原礫などが集められたもので、礫には熱を受け変色したり、割れたものが多く認められる。食料の調理に利用されたものと考えられている。落とし穴は静岡県初音ケ原A遺跡で台地を横切るように配列して掘られた例が発見されている。動物の追い込み猟に使われたものと考えられている。
 後期旧石器時代の石器については比較的研究が進んでいる。石器の特徴と技術の変化からさらに数段階に区分されている。細かな区分は研究者によって基準や時期の設定が異なっているが、大まかには三段階に分けられる。それは後期旧石器段階を特徴つける「ナイフ形石器」の出現以前と、出現期、そしてナイフ形石器が消滅し、細石器が利用された時期である。ナイフ形石器は連続的に打割られた規格性の高い剥片から作られる石器であり、槍先として使用されるものから切削具として利用されるものまで多様な利用方法があった。また、ナイフ形石器には石材や剥片(はくへん)のかたち、仕上げのかたちなどに地域色がみられ、列島内に地域ごとの技術や伝統が生み出されている。これは、ナイフ形石器が失われた後期旧石器時代終末の細石器段階にも引き継がれ、集団の領域がしだいにはっきりしてきたことを示している。