後期旧石器時代の後半になると最後の長い氷河期も終わり、しだいに地球規模での温暖化が進みはじめた。これにより大陸の氷床が解け、海水面の上昇が始まった。最大一〇〇メートル以上とみられる海面上昇によって土地は低い平原から徐々に水没し、次第に現代に近い海岸線へと変化を続けた。日本列島は大陸や朝鮮半島とは遠くなり、完全に孤立することになる。人類にとってはそれまでの広い活動領域が失われ、次第に狭い範囲に移動せざるを得ない状況となった。また海面の上昇に伴い、日本海へは黒潮から派生する暖流(対馬海流)が流れ込むようになり、季節風の影響で日本海側を降雨・降雪地帯へと変化させた。その結果、列島はそれまでの乾燥した気候とはうって変わった温暖多雨な環境へ変化をはじめる(図8)。そしてその温暖化により照葉樹林帯は南九州から急速に拡大し、針葉樹林帯や笹、ススキ類の草原は後退が進んだのである。もちろんその変化は急激ではなく、徐々に進んだものとみられるが、結果としてそれまでの旧石器文化に大きな打撃を与えたことは明らかである。
まずこうした環境の変化に伴い、動物の活動域の減少、人類による過剰狩猟(オーバーキル)などを主因として大型動物の激減などが起こった。つまり自然生産量に対してそれまでの食料獲得の手法では過密化した人口を維持することが困難となったのである。つまり列島での生活はまず狩猟による食料獲得に大きな危機を迎えることになった。これまでの狩猟は草原地帯における突槍や投げ槍などを用いた大型動物の群れを集団で追い込む狩猟が主であったと考えられる。しかし、大型動物や草原の減少でこうした狩猟は有効でなくなった。広がり始めた照葉樹林に多い中小動物に対しては、小型の槍や弓矢などの機敏で遠くからの射的が可能な狩猟具が必要となり、狩猟具は大きく変化した。また、落とし穴などによる罠猟も行われるようになった。鹿児島県仁田尾(にたお)遺跡では、深さ一メートル以上の落とし穴が等間隔に掘られていた(写真2)。こうした落とし穴猟は縄文時代に入っても引き続き行われている。
また重要な点であるが、食料の中で植物食料依存への傾向が高まったのである。鹿児島県黒土田(くろつちだ)遺跡では縄文時代草創期に堅果類の貯蔵穴も発見されている。
このような環境の変化に対応した、新たな食料獲得の手段や集団組織の改変が、次の縄文時代への社会の変化を促すことになる。