では京都平野の自然環境はどうであったろうか。細かな環境を復元するための花粉や化石などの分析や研究はなお進んでいない。後期旧石器時代になると、日本列島は長く続いた氷河時代の最後の最も厳しい時期を迎えていた。九州では氷河の形成こそないが、現在の北海道に近い気温と少ない降水量であったと考えられる(図10)。九州山地の中央部では針葉樹林が広がり、その周囲にはブナやトチなどの落葉広葉樹林が広がっていたと考えられる。海退現象による海岸線の後退により周防灘を含む瀬戸内海は完全に干上がり、各地の河川を集めた豊後川が豊後水道を通過し、太平洋に直接注いでいた。京都平野を囲む標高数百メートルの山々は疎らな針葉樹林と草原、山裾(やますそ)から平野部は落葉後葉樹林と草原であったと推定できる。
こうした環境での食料として採集可能な植物は、針葉樹林帯ではチョウセンゴヨウ、コケモモ、ノイチゴなど、広葉樹林帯ではクルミ、ハシバミ、クリ、ドングリなどがある。これらは集中的な採集が行われたと考えられている。
また動物は、平尾台の一角にある青龍窟ナウマン支洞のナウマンゾウ、シカ属などが発見されている。この時期はナウマンゾウ、クマ、野牛、オオツノシカ、ニホンジカ、キョン、イノシシ、ノウサギ、ネズミなどが本州以西に生息していたことが明らかにされており、これらが当時の人々の狩猟対象となっていたであろう。