(六三〇〇年前頃~五〇〇〇年前頃) アカホヤ火山灰は北関東地方まで降下していて、土器編年研究では広域的に判断できる鍵層(かぎそう)になっている。堆積火山灰を基にした近年の南九州における編年研究では、アカホヤの降下を早期と前期の境目にしようという意見があり、従来は早期に編年されていた轟(とどろき)A・B式土器が、アカホヤ火山灰の上層から出土するので前期前半に相当することが確実となってきている。轟A・B式土器は貝殻条痕文の上に貼付け隆線文で飾る土器で、器形は砲弾形で底部は丸みをもつ。また半截(はんせつ)竹管や箆(へら)で連続刺文などを施す轟C・D式土器もある。
曽畑式土器は胎土に滑石粉末が混入されて器面に光沢をもつものが多く短沈線(たんちんせん)を用いた幾何学的な文様や列点文で飾られ、砲弾形などの丸底深鉢が特徴である。朝鮮半島の櫛目文土器に似ていて、轟式土器とともに彼我の交流が問題にされる土器である。周辺部では胎土に滑石粉末を含まないものや、文様の退化したものも見られる。轟式・曽畑式土器は九州全土に分布し、特に西九州の海岸部で貝塚を形成する遺跡で出土することが多い。あたかもアカホヤによる植生壊滅からの回復を待って広域に広がっていったかのようである。漁撈活動はまだ貝類の捕採を主にしていたであろうが、東北日本では回転式離頭銛、単式釣針が既に出現していて、外洋にも進出していたらしい。また朝鮮半島東海岸の江原道鰲山里(オサンニ)遺跡出土の頁岩製軸部を伴う結合釣針は、日本海で対馬暖流と寒流の合う海域に集中する大型魚を対象にした漁法から成立したことが考えられる。鹿角製軸部と猪牙製針部との西北九州型結合釣針が唐津市菜畑遺跡で曽畑式土器に伴って発見されており、鰲山里型結合釣針からの影響を受けて西北九州型結合釣針が成立したとみられる。
轟・曽畑式土器に伴う石器類の種類は少ないものの、大分県荻町野鹿(のが)岩陰などでは玦状耳飾(けつじょうみみかざり)、ヘアピンなどの装飾品が発見されている。