(三〇〇〇年前頃~一五〇〇年前頃) 土器の文様には縄目文様が無くなり、精製土器では黒色磨研の深鉢・浅鉢・椀・高坏・注口土器などの器種がある。粗製土器は貝殻や板状原体による条痕(じょうこん)やナデで調整された深鉢や甕形土器である。
御領式の段階には、く字形の口縁部文様帯と胴部の肩に太い凹線と大きめの楕円形凹点で飾る文様が描かれている。広田式や大石式土器の段階には、この凹線から沈線に変わり、凹点は小さくなる。
晩期の中頃には体部が誇張気味に膨らむ浅鉢が出現し、リボン状や鰭状の貼付けをもつ土器、刻目のない突帯を巡らす土器も現れる。また、北陸・近畿地方の土器も一部移入している。
後半には刻目突帯文土器が出現し、器種に壺が加わる。
晩期前半までの石器組成は後期後半の組成を継承するが、石鏃や打製石斧の組成率には細かな変動も見られる。これに対して、晩期後半の石器は打製石斧・磨石・石皿の減少をはじめ、十字形石器や円盤状石器などは衰退する。石鏃は二等辺三角形の平基式が主体になるものの、全体として石器の量は減少する。
なお弥生時代との境は、従来の編年では紀元前三世紀頃の夜臼式土器と板付式土器の間においていたが、紀元前四~五世紀頃の突帯文土器段階に朝鮮半島から北部九州沿岸部に水稲耕作と金属器が既に伝播し、弥生時代の要素を含むため、終末期の突帯文土器段階を弥生時代早期と呼ぶ研究者も増えてきている。