3 装身具

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 衣類に関する資料は少ないが、編物の痕跡は上伊良原川端遺跡出土土器底面に押捺された圧痕(写真8)などがある。また後期末頃から土製紡錘車が見られるようになるので、植物繊維を利用した織物が存在した可能性がある。なお、京築地域などで出土する土偶には衣服、髪形や装飾品を表したものが今のところ見られない。
 
写真8 土器底面の編物圧痕(上伊良原川端遺跡)
写真8 土器底面の編物圧痕(上伊良原川端遺跡)

 装身具の具体的な資料としては、髪飾り、耳飾り、首飾り、腰飾り、腕飾りや脚飾りがある。前期を中心に軟質の石を用いた玦状耳飾り、イモガイなどを用いた玉類が使用されている。後期には骨製のヘアピンや櫛(くし)、土製耳飾り、猪牙製垂飾、翡翠(ひすい)や硬玉製の大珠、ヒロクチカノコを用いた玉、ベンケイガイあるいはタマキガイ、アカガイなどを用いた貝輪などが流行している。九州地方で二枚貝製の貝輪を装着した人骨はほぼ女性に限られるが、外面が黒毛で覆われ、赤身で血を出す貝としてアカガイなどが選択されるようである。後期末から晩期にかけては翡翠質硬玉製などの勾玉や管玉、魚形垂飾など手の込んだ文様を刻んだものも見られるが、垂飾や玉類には緑色系や灰白色系の色調が選ばれていて、緑色系の色調が好まれていたことが分かる。東友枝曽根遺跡では、緑泥片岩製の抉(えぐ)りが深いタイプの勾玉や、翡翠製の獣形らしい勾玉などが出土し、上唐原了清遺跡でも翡翠製の獣形勾玉一点、宇佐市尾畑遺跡では各種の装身具類が出土している(写真25)。平成一五年の添田町上津野の後遺跡(写真26)で後期前半福田KⅡ式期の土壙墓から翡翠製の大珠が発見されている。
 
写真25 縄文晩期の玉類(宇佐市尾畑遺跡)
写真25 縄文晩期の玉類(宇佐市尾畑遺跡)

写真26 添田町上津野後遺跡の調査風景
写真26 添田町上津野後遺跡の調査風景