4 墓制

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 早期・前期の埋葬例としては、椎田町小原岩陰遺跡の前期人骨が出土した土壙の例があるものの、調査報告書の土層図に幅〇・四メートル、深さ〇・三メートルほどの掘り込みが示されるのみで実態は明確でない。大分県本耶馬渓町の枌(へぎ)洞穴(写真27)では、早期埋葬例が九例あり、四肢を強く折り曲げる姿勢の屈葬で、腰椎以下を切断したものが見られる。屈葬や遺体の一部を除く行為や、遺体の上に石を置く抱石葬などは、死霊の出現を防ぐ観念によるとされている。前期埋葬例は四〇体あり、屈葬がほとんどで、礫を用いることが多く、頭を除いた遺体全体を石で覆う例もある。また伸展葬も出現するが、霊魂に対する意識に変化が生じ、再生観念が生まれるようになったのであろう。後期の例には、合葬墓などもあるが、抜歯風習は見られない(写真28)。
 
写真27 本耶馬溪町枌洞穴
写真27 本耶馬溪町枌洞穴(1975年)

写真28 枌洞穴の埋葬人骨
写真28 枌洞穴の埋葬人骨

 後期以降には伸展葬が普遍化していて、中津市ボウガキ遺跡で鐘崎Ⅲ式期の竪穴住居跡廃絶後に埋葬された伸展葬の土壙墓が四基発見された。しかし宇佐市石原貝塚では後期末頃の屈葬人骨が二体発見されているので、後期末にはまだ伸展葬、屈葬の両者が採用されている。ただ屈葬には強度な屈葬姿勢と軽く曲げたものがあり、軽いものについては土壙の掘削量を少なくする効果があったのかも知れない。また再埋葬の事例としては、芦屋町山鹿貝塚のような例もあれば、大分市横尾貝塚や朝地町大恩寺稲荷洞穴などの骨の配置を極端に変えてしまう例もある。
 芦屋町山鹿貝塚は後期の墓地で、男性八、女性七、乳幼児三体が調査され、屈葬より伸展葬が多い。二~四号人骨合葬墓は特異で、鎖骨・胸骨・肋骨などを除かれ、右腕に五個、左腕に一四個の貝輪を装着し、左右の耳部にサメ歯製耳飾り、胸に二本の鹿角製叉状垂飾と硬玉製大珠が置かれた女性の二号人骨と、右腕一一個、左腕一五個の貝輪と頭に二本の笄(こうがい)を装着するが頭骨と四肢骨だけの状態に胸部の骨を除かれた女性の三号人骨があり、その間に乳幼児の四号人骨が並んでいた。胸に霊魂が宿ることを意識したもので、集団内で呪術的性格をもった女性であったと推定される(図23)。
 
図23 芦屋町山鹿貝塚2・3・4号 人骨の埋葬状態
図23 芦屋町山鹿貝塚2・3・4号 人骨の埋葬状態

 苅田町下片島の浄土院遺跡では、昭和四七年(一九七二)に字釜堀の部分が調査され火葬人骨を納めた甕棺墓が発見された。口径三九センチメートル、器高三八センチメートルの西平式土器を使用したもので、成人女性の火葬人骨が確認された(図24)。縄文時代後期の火葬例は類例が少なく、当時の埋葬観念などを考えるうえで貴重な発見であった。日常容器に埋葬する甕棺(埋甕)は、東日本では前期にまで遡り、九州では晩期まで続く。埋甕は甕(深鉢)に乳幼児の遺体を納め家屋の入り口などに埋められたもので、再生観念によるものとされているが、火葬風習の要因は何であったのであろうか。
 
図24 浄土院遺跡の埋甕
図24 浄土院遺跡の埋甕

 行橋市下崎瀬戸溝(しもさきせとみぞ)遺跡では、西平式系の鉢の底部を打ち欠いた埋甕が一基発見されている。ほぼ直立するタイプの埋置状態であった(写真29)築城町松丸D遺跡では、晩期後半の甕棺墓が四基発見された。いずれも単棺で、直立の埋置方法がとられる。うち二基は底部を残し、二基は胴部下半を打ち欠かれている。豊津町節丸西遺跡などでも直立に近い状態や倒立状態に据えられた埋甕が発見されているが、底部を意図的に打ち欠いたものと底部がそのまま残るものとは用途が異なるものと判断される。また椎田町山崎遺跡の埋甕(図25)は斜方向に深鉢が埋置されたもので、乳幼児よりもむしろ小児甕棺のイメージが強い事例であろう。
 
写真29 下崎瀬戸溝遺跡の埋甕
写真29 下崎瀬戸溝遺跡の埋甕

図25 山崎1・2号甕棺墓と甕棺使用土器
図25 山崎1・2号甕棺墓と甕棺使用土器

 埋甕あるいは甕棺葬は乳幼児埋葬の可能性が高いといわれているが、成人を伸展葬する土壙墓では築城町十双遺跡で長さ一・三メートル、幅〇・八メートル、深さ〇・二メートル規模の土壙、行橋市長者原遺跡では住居跡より古い時期の土壙が発見されていて、土壙墓である可能性が高い(図17)。また大平村東友枝曽根遺跡では、隅丸長方形や不整方形の掘り込みの中部をさらに対角線方向に長方形に掘り込んで埋葬するタイプの墓がまとまって発見された。掘り込んだ際の土砂を効果的に処理するアイデアが縄文時代後期後半頃には既にあったことになる。このタイプの土壙墓は豊津町徳永川ノ上遺跡の弥生時代墓地などにもみられるので、先駆的なものであろう。
 
図17 長者原遺跡の住居跡と出土遺物
図17 長者原遺跡の住居跡と出土遺物