昭和四〇年『九州考古学』誌上に公表された行橋市長井遺跡の弥生時代前期資料は、この地域の弥生時代研究の先駆けをなすものである(小田富士雄「福岡県長井遺跡の弥生式土器」『九州考古学』二五・二六号、一九六五)。
周防灘に面した長井海水浴場北端で、定村責二氏が採集した資料である。周防灘を間近に臨む海岸砂丘上にある墳墓遺跡で、その地の土取工事のため五〇〇基以上の箱式石棺墓や六基以上の甕棺墓が消滅したとされている。もし本格的な発掘調査が実施されていれば、豊前地方だけでなく、九州地方の弥生墳墓を代表する遺跡としての評価を得ていたであろう。
さて、この遺跡から出土した土器は、その出土した場所や遺構がほとんど明らかでない点を差し引いても、豊前地方の弥生文化開始時の姿を知る上で貴重な資料となった。