高槻式土器の大きな特徴は二枚貝の先端使用による文様施文である。線が貝殻の押圧によって描かれると、普通のヘラによる線引きと違って、貝殻先端のギザギザによって、その華麗さは別物になってしまう(写真17)。この施文に用いられる貝は、口の内側にもギザギザが付いているタマキ貝、ベンケイ貝の種類に限られる。
特に壺の胴部に付けられた多種多様な装飾は、北部九州弥生土器の中でも特筆しなければならないものである。
いくつかの例を集めてみる。
下稗田遺跡C地区九〇号貯蔵穴出土土器(図28の1)は胴部上半を丹塗りし、その丹塗り部分に貝殻で様々な文様を描いている。この土器が他の土器と違っているのは、同じ文様の繰り返しではなく、分割された文様帯の中で、それぞれの文様構成が異なっている点である。
五本の縦線により四分割されたそれぞれのパレットには、木葉(このは)文+複線鋸歯(ふくせんきょし)文(a区)、木葉文+複線鋸歯文(b区)、複線連弧文+複線鋸歯文(c区)、平行沈線文+連続複線鋸歯文(d区)が配されている。
この九〇号貯蔵穴出土土器の場合、上下に引かれた平行沈線文に挟(はさ)まれた中の一段だけの文様帯となっているが、文様帯が上下二段で構成されるものもある。
C地区三二七号貯蔵穴出土土器(図28の2)を見よう。この土器の文様帯は、頸部と胴部の境にある上の突帯と、胴部中位に付く下の突帯に挟まれた間にあるが、その中が三条の平行沈線文によってさらに二段に区切られている。
上段文様帯には複線連弧文、下段文様帯には木葉文が描かれ、下段文様帯のみ文様部分に丹塗りが施されている。また、同じ貯蔵穴から出土した土器では、上段文様帯に羽状文、下段文様帯に複線鋸歯文が描かれ、上段文様帯全部と複線鋸歯文部分だけに丹塗りが施されているものがある。
下段文様帯の下側を画す突帯や平行沈線文が省略されるものもある。C地区二七三号貯蔵穴出土土器(図28の3)は上段文様帯に羽状文、下段文様帯に複線連弧文が描かれ、上段文様帯全部と下段文様帯の連弧文上に丹塗りが施されている。複線連弧文の下の区画線は省略されている。
出土土器の中で、上段文様帯と下段文様帯の文様構成として最も多いのが、上段文様帯を羽状文で行い、下段文様帯は下を画す線を省略し、複線鋸歯文や複線連弧文を描くパターンである。ここでは、羽状文の使用頻度が高いと言えるが、これが豊前地方以外ではそれほど多くないのである。他地域ではむしろ複線連弧文、山形文などの方が多いと言える。使用される文様の種類にも豊前地方の特徴が出ている。
文様構成パターンに決まりはなく、その組み合わせ、文様帯幅などはかなり自由である。
文様が施文されている場所には、口縁の内側(これは口が広くて内面がよく見えるものに多い)、頸部、胴部下半などがあるが、それらは散発的で、やはり施文箇所の多くは胴部上半に集中している。
施文道具として貝殻が使用されるのは、豊前地方がオリジナルではない。既に弥生前期中頃段階で、北部九州の各地に貝殻を原体とした施文方法が認められている。ところが、その貝殻施文はヘラによる施文に比べて圧倒的に数が少なく、どの遺跡でも文様を持つ土器の数%にすぎない状況である。
その点、豊前地方の板付Ⅱ式土器にみられる文様を持つ土器では、ほとんどが貝殻を原体とする施文である点が注目される。しかもその文様たるや外の地域には見られない複雑なもので、その上、それが赤色顔料の丹塗りによる彩色と組み合わされている。
弥生時代前期後半の豊前地方に住む人々は、何ゆえこれほどまでに土器を飾る意識を持ったのだろう。
板付Ⅱ式期に、むしろ文様が簡素化し、無文化する傾向にある遠賀川流域以西に比べると、土器文化における地域色の確立は顕著なものが見受けられる。この時期、豊前地方における農耕文化の定着と地域社会の統合の始まりが、地域色豊かな土器文化の創出に無関係とは思えない。