図31 辻垣遺跡群の大陸系磨製石器と縄文系石器(1~7・16:1/4,8・14・15:1/6,9~13:1/2)
6は辻垣ヲサマル遺跡,それ以外は辻垣畠田・長通遺跡
1~5は京都平野にない石材を使った大陸系磨製石器(1・2:磨製石剣,3・4:磨製石鏃,5:ノミ)1:暗紫色凝灰岩,2:酸性凝灰岩,3:灰白色酸性凝灰岩,4:珪質凝灰岩,5:酸性凝灰質砂岩,6~8は京都平野の石材を使った大陸系磨製石器(6・7:石庖丁,8:磨製石斧)6:泥質片岩,7:細粒砂岩,8:砂岩,9~13・16は京都平野にない石材を使った縄文系石器(9~13:打製石鏃,16:スクレーパー)9・10・16:サヌカイト,11:姫島産黒曜石,12・13:腰岳産黒曜石,14・15は京都平野の石材を使った縄文系石器(14:打製石斧,15:磨製石斧)14・15:緑色片岩
辻垣ヲサマル遺跡から出土した石器を、縄文時代以来のものと、弥生時代に入ってからのものに分けてみよう。
弥生時代に始まった石器は、その起源が中国大陸にあることから、大陸系磨製石器と呼ばれている。代表的なものに、石庖丁、太型蛤刃(はまぐりば)石斧、柱状(ちゅうじょう)片刃石斧、扁平(へんぺい)片刃石斧、磨製石剣、磨製石鏃などがある。
このうち石庖丁・磨製石斧と磨製石剣・磨製石鏃が弥生時代前期前半の辻垣遺跡群から出土している。時期がわかる石庖丁の石材には、砂質片岩、泥(でい)質片岩がある。この石材は京都平野南側の変成岩帯に産出するものである。他にも、砂岩、頁岩、シルト岩、泥岩・酸性凝灰角礫(ぎょうかいかくれき)岩などの堆積岩もあるが、いずれもはっきりと時期決定ができるものではない。系統が大陸系の石器であっても、石材が地元産であることは注目される。
同じ大陸系石器である磨製石剣も出土している。磨製石剣は表面に縞状の模様ができる凝灰岩である。凝灰岩質の白い部分と凝灰質泥岩の黒い部分が層状に重なり合って、独特の雰囲気を醸(かも)し出している。
磨製石鏃も磨製石剣と同じ凝灰岩である。
磨製石斧のうち大陸系の扁平片刃石斧(石のみ)が一点出土しているが、これは凝灰質砂岩である。このような石庖丁を除く大陸系磨製石器の石材である凝灰岩、あるいは凝灰質砂岩は、京都平野では入手困難な石材である。石庖丁とその大陸系磨製石器の数を比較すると、圧倒的に石庖丁の方が多いことに気づく。このことから、需要が多く絶対量が足りなかった石庖丁は、在地の石材を使わざるを得なかったのではないかという推定が成り立つ。石庖丁の需要の多さは、裏返せばこの地に水田稲作農耕が急激に発達してきたことを示しているのであろう。磨製石剣・磨製石鏃の類は出土量も少なく、実用品であったのかどうか疑わしい面がある。祭器的な役割が高かったことは、印象に残る縞模様の石材が好んで使われたことと無関係ではないように思われる。