集落のまわりに広がる里山(さとやま)には木製品の材料となる樹木が無数に生えていた。
木材は建築材として使われる大型のものから、箸・楊枝(ようじ)のような小物まで多くの用途があった。もし木製品が腐らずに残っていたら、弥生時代の生活は私たちが想像するよりももっと豊かなものであったことがわかるはずである。
木が腐りやすいのは、有機質だからである。土器や金属のように無機質ならば、土に埋もれてもまだ腐りにくい。しかし、水中や粘土層の中のように酸素の供給が少なく、腐敗菌が活動しにくい環境の中では、木材でも腐らずに残っていることが多い。
このように、木製品の保存にうってつけの場所が、下稗田遺跡のいちばん大きな丘陵であるⅠ地点の南側の谷部にある。ここは、旧河川地区と命名される調査地区である。
当初は、水田遺構を探すために設置された調査区であるが、意にそぐわず水田が見つからなかったかわりに、木製品の未製品と、それを貯える施設が発掘された(写真19)。
この貯木施設は、丘陵から約二〇メートル下の谷を流れる旧河川の北側、すなわちⅠ地点集落側に作られている。一号土坑と命名され、長さ一・八五メートル、幅一・五メートル、深さ一五センチメートルの隅丸方形プランをしていて、岸に接する一辺を除く残りの三辺には、合計四四本にのぼる矢板材を打ち込んで土坑を囲んでいる。
この中には製品になったものではなく、作りかけの鍬やその柄などの未製品が出土している(写真20)。現在でも使わない鍬の柄などは、水につけておくことがあるが、これは変形・収縮を防ぐためのもので、古代も同じことを行っていた。それに、水に浸しておくことで、表面を柔らかくして加工しやすいようにできるのだろう。
一号土坑からは、表面に黒色顔料を塗布した壺も出土している。黒色顔料そのものも水に漬けて保護したのであろうか。
旧河川地区では、貯木施設以外にも、そうした酸素の供給を絶たれる地下一~一・四メートルのところにある基盤層の上の泥炭質粘土層の中で多くの木製品が発掘されている。