木製品は、元の幹のうちどの部分を採取したのであろうか。幸い木器には年輪が残っているので、それをよりどころに木のどの部分にあたるのかを推測することができる。
鍬になる素材はいずれも柾目(まさめ)材である。図33の1では、年輪の外側のところにある樹皮や成長中の辺材と内側の年輪の芯(しん)をはずしているので、本来の木の太さは少なくとも直径八〇センチメートル以上の太さの木になるに違いない。
棒状の木器は一本の木をそのまま用いるか、縦方向に分割したものの周囲を削って断面を丸く仕上げる。
棒状の木製品を作るには、なるべくまっすぐな木を選んで、芯を残したまま周りを削り取る方法が最も簡単な方法である。多くの柄や杭などは、ほとんどがその方法で作られる。しかし、この木取りには欠点がある。芯と側の収縮率が違うので、途中で縦方向の亀裂(きれつ)が入ってしまう。これを防ぐには、木取りそのものの方法を変えなければならない。図33の3のように、丸太を四分割して、それを棒状に削って加工する方法である。先の方法に比べると格段に手間のかかる作業であるが、こうして作られた木は反りも少なく、亀裂を生じない。この木取りで作られた柄が下稗田遺跡でも出土している。
大型の鍬は、まず板状の材木を作るところから始まる。
大木から板材を取り出すには、鋸がない当時では斧や楔(くさび)を使って割っていたことは前に述べたが、その割り方は、現在のように板目材を取るような方法でなく、中心から放射状に伸びる木目に沿って割る「みかん割り」で割られている。この方法は道具が貧弱な当時には一般的な割り方であったが、芯に近いほうは薄く、樹皮に近いほうは厚い板材にならざるを得ない。現代のように完全な直方体になることはない。
下稗田遺跡で出土している広鍬未製品を見ると、その年輪の内側が薄く、外側が厚い。最終的には、手斧で削って均厚に仕上げるのである。
椀や案などの小物も、その年輪をたよりに、どの部位かがわかる。椀はほとんど幹の中心の材を使っている。案は四分割した材の一部を使っている。
椀にしても、素材となる材木をどんどん削って形を作り出している。削る分のほうが製品として残る分よりもはるかに多い。それだけ念の入った作りをしているということである。