弥生時代における金属器が貴重なものであったことは疑いがない。そのため、鉄器が普及し始める弥生時代後期よりも前に生活遺構から廃棄された状態で鉄器が出土することは少ない。下稗田遺跡では膨大な遺構が発掘された中で、発見された鉄器はわずか一〇点に過ぎない。その種類の内訳は、八点が鉄斧、一点が刀子、一点が何の製品かわからない鉄片である(写真22)。鉄斧は四角な板状の鉄の片側に刃を持つ板状鉄斧五点と木柄を中に挿し込む袋状鉄斧三点に分かれる。袋状鉄斧の袋部には挿してあった木の痕跡が錆び付いて残っているものもある。
京都平野で鉄器の最も古い例はこの下稗田遺跡で、弥生時代前期後半の住居跡から出土した板状鉄斧と、貯蔵穴から出土した鋳造鉄斧の例である。