三区分法

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 五世紀代は古墳時代の最盛期であるというところから出発する。五世紀前半代と推定される応神天皇陵や仁徳天皇陵は、わが国最大級の前方後円墳であること。また五世紀代は「倭の五王」時代にあたり、対外的にもヤマト王権の勢力が最も高揚した時期であったことなどから、この時期を一期とすると、その前後に各々一期が設定されることになる。すなわち四世紀代を前期に、四世紀末から五世紀末までを中期に、五世紀末から七世紀末までを後期に比定する三区分法が成立する。