地域研究における時期区分

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 上述してきた三区分法、二区分法ともに伝天皇陵や畿内の古墳によって組み立てられたものであった。研究史上先進地である点で当然ではあろうが、列島各地の古墳調査例も増加し、地域研究も進展してきた今日では、従来の時期区分や年代観では律しきれなくなってきていることも事実である。九州地方の古墳文化の画期も例外ではない。横穴式石室の出現は四世紀末までさかのぼり、須恵器の生産も五世紀前半には開始されている。すなわち大陸文化の受容は前者において半世紀以上さかのぼり、後者においては畿内でも五世紀初め近くにさかのぼってきた。大陸文化との接触は大陸に最も近い地理的位置を占めている北部九州にはやく現れることも、けだし当然であろう。この画期を重視しなければ九州古墳文化の特色は消されてしまうであろう。その意味で従来「倭の五王の世紀」、「技術革新の世紀」などと言われてきた五世紀代を重視する立場、すなわち三区分法を復活させた地域史観に立つことによって九州の画期は明確になるのである。そしてここに設定された中期こそは、以降に展開する九州型古墳文化の形成期として重要な時期である。