弥生時代の墳丘墓と古墳時代の定型化した前方後円墳との過渡的段階に位置付けられる墳墓に、二世紀後半から末頃に築造される纏向型墳丘墓がある。纏向型墳丘墓は、円丘に撥(ばち)形に開く方形の突出部が付属した前方後円墳状の形態であるが、後円部に対し前方部が短く、高さも低い点が定型化した前方後円墳とは異なる。このタイプの墳墓の中でも特に大型のものが初期ヤマト王権の成立地と推定される奈良県桜井市の纏向遺跡の周辺に集中することから、「纏向型」と呼ばれている。
纏向型墳丘墓が、それまでの他の墳丘墓と異なる点は、墳丘の規格を同じくする墳墓が地域を越えて列島各地に築かれたことである。こうした現象は、葬送儀礼を共有する共通の意識を持った広域的な連合体が形成されてきたことを示している(注=この社会的変化に大きな意義を認め、「纏向型墳丘墓」を前方後円墳と認め「纏向型前方後円墳」の成立をもって古墳時代の始まりとする考え方もある。寺沢薫『日本の歴史〇二 王権誕生』二〇〇〇)。