京都平野の南に位置する中津平野においても、近年、前期の前方後円墳が確認されている。
能満寺三号墳は築上郡大平村下唐原の山国川西岸の河岸段丘に所在する、四基からなる前期古墳群の中の盟主墳である。墳丘は不明瞭な部分があるが、全長三〇〜三五メートルに復元される。主体部も大破しているが簡易な竪穴式石室であった可能性が高い。出土品としては虁鳳(きほう)鏡片や四獣鏡がある。四世紀前半に築造されたと考えられる山国川流域で最古の前方後円墳である。
西方古墳は築上郡大平村下唐原の河岸段丘にある前方後円墳である。前方部後円墳の両端が削平されているが全長五〇~六〇メートルに復元できる。発掘調査はされていないが、四世紀後半頃、能満寺古墳に続き築造された古墳と位置付けられている。
これら山国川流域の前方後円墳は北の京都平野と南の宇佐平野との中間に位置し、この地域にも前方後円墳を造営しうる勢力が成長していたことがわかる。ただし京都平野や宇佐平野の古墳と比較すると規模・副葬品ともにやや劣ることは、この地域の豪族の相対的地位を示している。