さて、国造制は評制の施行(七世紀後半)に伴い廃止されたと考えられている。では、国造制を廃止した後、中央政府は国造に対していかなる対応をとったのであろうか。改新詔第二条には郡司に国造を任用すべきことが規定されている。改新詔は史料としての信憑性(しんぴょうせい)が問われているため、その潤色の可能性は否めないが、『常陸国風土記』の建郡記事とを考え合わせると、郡司の国造任用規定の存在は否定できない。以上から、国造はその本拠郡の郡司に任用され、新たに律令官人として権力構造の末端に位置づけられていくのである。