大化改新を契機に本拠郡の郡司に任用された国造(旧国造)に対して、律令制下にみられる国造を新国造あるいは律令国造と称している。
まず、新国造の成立に関する史料を掲げることにする。
「用物則国別国造〓」(『日本書紀』天武天皇五年八月十六日条)
「用(もち)ゐむ物(もの)は、国別(くにごと)に国造(くにのみやつこ)〓(いた)せ」
右史料にみえる「国別国造」が新国造の初見となる。このことから成立は天武朝初年と考えられている。
新国造の性格を要約すると次のようになる。
①原則として旧国造の系譜をひく。
②『令集解』に解されているように、令制国一国に一員の割合で任ぜられている。
③新国造には国造田が支給されている。国造田は六町単位で国造氏の本拠郡に準備されており、『類符宣抄』所収延喜一八年太政官符によると、その収公した数値は全国の約三分の二にも及んでいる。
上記の①~③を考えあわせると、新国造はほぼ全国的にわたって分布していたことがわかる。
次に、新国造の職掌であるが「地方神祇官」であったとされる7。新国造は有力神社の司祭者であるのと同時に、国内の総括的祭祀権を掌握し、全国的な祭祀にも関与したという。また、この機能は大宰府主神のそれに類似し、職員令の「掌諸祭祀事」に関する条文を適用することが可能となり、新国造の典型として「出雲国造」をあげている。
ただし、新国造に関する明確な律令条文がないため、新国造は大宝令の成立に伴い制度的に否定され、大宝令以前には祭祀権のみならず国司の政治的補完者として政治的実権を掌握していたのであるが、大宝令において国司制度が確立するとその歴史的意義を終えたと理解する考えもある8。この説に従うと、新国造は有名無実の名誉職となる。なお、「出雲国造」に関しては「神郡国造」という特異性を考慮に入れて考える必要がある。
以上が新国造に関する概説である。旧国造と同様に不明な点が多い。今後の調査・研究に期するところである。