稲置に関する史料として『隋書』倭国伝がある。ここにいう「軍尼」(クニ)を国造、「伊尼糞」(イナキ)を稲置と解釈すると、国を上級、県を下級の行政組織として理解する「国県制」のよりどころとなる。この説によると、国造は国の長官、県主は県の長官で「稲置」を姓とするという。『日本書紀』仁徳紀に闘鶏国造が稲置姓に改姓されていることが記載されており、また天武天皇の八色の姓では第八位に相当する。官職名が姓に転化する例は多いことから稲置もかつては地方長官の名称であったかもしれない。しかし、史料の制約もありその性格はほとんどわかっていない。