『宋書』に載せられた倭王武の上表(じょうひょう)文は、中国南朝への官爵の要求書である。その前文に「昔より祖禰(そでい)躬(みずか)ら甲胄(かっちゅう)を擐(つらぬ)き、山川を跋渉(ばっしょう)し、寧処(ねいしょ)に遑(いとま)あらず、東のかた毛人(もうじん)を征すること五十五国、西のかた衆夷(しゅうい)を服すること六十六国、渡りて海北(朝鮮半島)を平ぐること九十五国…」と述べ、倭王権の武力を誇示している。
埼玉県稲荷山古墳出土の鉄剣銘には、獲加多支鹵(ワカタケル)大王(雄略天皇)が斯鬼宮(しきのみや)にいた時に、「吾(われ)(この刀を作ったオワケ臣(おみ))、天下を左治(大王の天下の統治を補佐)」したことが記されている。
同じ時期の熊本県江田船山(えたふなやま)古墳出土の銀象嵌(ぞうがん)銘大刀にも「治天下獲□□□鹵大王世」という文字が刻まれ、ワカタケル大王すなわち倭王武、雄略天皇の時代には、圧倒的な軍事力を背景に、列島を中心とした小世界のもと「天下」意識をもっていた。