甲胄と同様に市内からは武器である鉄刀(直刀(ちょくとう))もかなりの量が出土している。竹並横穴墓群からは鉄刀三〇振以上が出土し、最も長いのでG-五一号横穴墓出土の一一八センチメートル、短いものでは四〇センチメートルの短刀もある。稲童古墳群や馬場代二号墳など各古墳でも一振から数振副葬する。
鉄刀は反(そ)りから二大別され、内反りが古く、真っ直ぐな直刀がやや新しいタイプである。さらに関部(まちぶ)(刃部(じんぶ)と茎部(なかごぶ)の境目)の形状で四つに細分できる。古いタイプは棟部(むねぶ)の段がなく、斜めに茎部が細くなり、凸気味が古く、凹気味がやや新しい。その次に棟部に斜めに切り落とし段をつけるもの、最後に直角に近い形状で段をつけるタイプに変化する。
内反りのⅠ型式は稲童古墳群や竹並A-二二号横穴墓などから出土しており、四~五世紀後半に多い。直刀で茎部が凸気味のⅡa型式は、馬場代二号墳や竹並A-一五号横穴墓などから出土し、五世紀中頃~六世紀に比定される。直刀で茎部が凹気味のⅡb型式は、竹並A-四号横穴墓などから出土し、五世紀後半~六世紀にかけて、直刀で茎部に斜めの段をつけるⅢa型式は、竹並C-四-二号横穴墓などから出土し、六世紀初頭以降に多い。直刀で直角に段をつけるⅢb型式は、竹並G-五一号横穴墓などから出土し、六世紀前半以降に多く見られる。