横口式家形石棺・横口石棺式石室

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 横口式家形石棺は、家形石棺に横口を設けたもので、その周囲には石室を構築し、棺身前面の横口に対応して石室も横口にする。
 最も古いのが、八女郡広川町石人山(せきじんさん)古墳である。全長一一〇メートルの前方後円墳で、後円部に妻入横口式家形石棺を安置し、前方部にむけて開口する。石棺は阿蘇泥溶岩の板石四枚を組み合わせ、刳抜(くりぬき)式の寄棟屋根形蓋を被せる。棺蓋の前後に断面円形の棒状縄掛突起をつくり出す。台形斜面は水平帯で上下に二分し、上半に同心円文、下半に直弧文を浮彫手法で描く。棺身前面に長方形窓を刳抜(くりぬ)いており、本来は嵌入(かんにゅう)式の扉があったと思われる。石棺を囲んで板石を平積した竪穴系横口式石室を築くが、石棺と四壁の間はほとんど空間がなく、石棺を据えたのち石室を構築している。この石人山古墳は、横口式家形石棺としても、装飾古墳としても北部九州で最古段階に位置付けられる重要な古墳である。
 次に石棺式石室は、石室を伴わず、墳丘に横口式家形石棺を直接埋葬したもので、江田船山古墳などがある。前方後円墳の後円部に組合式家形石棺の妻入横口を前方部に向けて、直葬する。横口は刳抜式で扉石嵌入方式である。屋根の前後には棒状縄掛突起を削り出す。江田船山古墳の家形石棺も石人山古墳の石棺系列に属する。横口外部は板石を左右に立て、その間を通路としている。
 横口式家形石棺には、久留米市の浦山古墳や佐賀市の西隈古墳、石棺式石室には久留米市の石櫃(いしびつ)山古墳、熊本県城南町の石之室古墳などがある。刳抜式横口と棒状縄掛突起をもつ石人山古墳や江田船山古墳が古く、五世紀中~後半に、環状縄掛突起をもつ浦山古墳、石櫃山古墳。西隈古墳がやや新しく五世紀後半~六世紀初頭頃である。これらは筑後・肥前東部・肥後北部に分布している。
 
図43 横口式家形石棺
図43 横口式家形石棺

 
図44 石棺式石室
図44 石棺式石室

 肥後を中心とした横口石棺式石室は、六世紀前半代で姿を消していくが、その頃から山陰地方、島根・鳥取県などにさらに規模を大きくした石棺式石室が盛行するようになる。