石棺系装飾

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 九州で最も古い装飾古墳は、広川町の石人山(せきじんさん)古墳である。五世紀中頃の全長一一〇メートルの前方後円墳である。妻入横口式の家形石棺を前方部に開口する。石棺は阿蘇泥溶岩の板石四枚を組合せ、刳抜(くりぬき)式寄棟(よせむね)屋根形棺蓋を被せる。装飾は棺蓋頂部の幅狭い平坦棟を巡る四方斜面に直弧文(ちょっこもん)・円文などの呪術的な幾何学文様を浮彫にする。
 
図52 鳥栖市・太田古墳の後室奥壁(左),後室奥壁の彩画部分(右)
図52 鳥栖市・太田古墳の後室奥壁(左),後室奥壁の彩画部分(右)

 
表7 京都平野周辺の装飾古墳
表7 京都平野周辺の装飾古墳

 この石棺装飾の初現は、四世紀後半にさかのぼる。大阪府安福寺(あんぷくじ)境内内石棺(伝大阪府勝負山古墳)の割竹(わりたけ)形石棺である。香川県鷲(わし)ノ山産の石材を用い、現存する棺は蓋で、棺身は不明である。文様は合わせ口部外周の高さ一三センチメートルの範囲に限られ、まるで遺体を埋納した後の封印の呪文のように直弧文を外周させる。同じく福井市足羽山(あすわやま)古墳の直弧文を線刻した舟形石棺や福井市小山谷古墳の舟形石棺には、鏡を浮彫にする。いずれも四世紀代の古墳で、直弧文から円文・三角文など幾何学文が新たに加わる。この後畿内周辺では石棺への装飾が、定着、発展することなく、断絶する。この断絶の後、突如として五世紀中頃以降、九州に大流行するようになる。福岡・熊本・佐賀県に分布し、直弧文のほかに鍵手(かぎて)文・同心円文・梯子(はしご)状文などの幾何学文を浮彫や線刻で精巧に描き、五世紀末頃に衰退していく。施文技術は、畿内や北陸の四世紀代の文様とは比較にならないほど精緻で、系譜的にはつながらない。