石棺系装飾に少し遅れて五世紀後半に熊本県で流行し始め、六世紀前半頃に衰退する。肥後型石室の四壁に巡らす障壁に直弧文や円文・同心円文のほかに新たに靫(ゆき)や盾(たて)といった武具が彩色される。これらは邪悪なるものを寄せ付けない辟邪(へきじゃ)の効果を願って表現している。六世紀に入って石屋形(いしやかた)が出現すると、石屋形を中心に装飾され、色彩も赤・青・白・緑色で、カラフルになるとともに文様も新たな菱形(ひしがた)文・双脚輪状(そうきゃくりんじょう)文・蕨手(わらびて)文そして人物なども描かれるようになる。