古墳・横穴墓に埋葬された人々

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 群集墳横穴墓群に埋葬される人たちは、有力家族層の人たちである。群集墳は、在地の有力家族層で、横穴墓群から武器や環頭柄頭などを出土しており、軍事集団の家族層である可能性が高い。そしてこれらには、初葬に家父長を埋葬したのち、平均三~五体の追葬が行われることが多い。
 岡山県万燈山古墳の棺体配置と埋葬順序を見ると、横穴式石室の奥壁沿いに家父長を埋葬したのち、右から左、次にその手前に右→左→真ん中へと全部で九体埋葬していた。家父長に次いで追葬される人は、家父長の直系家族か、または関係が深い人だちと考えられる。
 
図71 岡山県万燈山古墳の棺体配置と埋葬順序
図71 岡山県万燈山古墳の棺体配置と埋葬順序

 鳥取県向原(むこうばら)六号墳の組合式箱式石棺には六体の人骨が埋葬されていた。二名単位の四次にわたる追葬がみられる。その二名単位は、夫婦もしくは兄弟関係者の接近した時間における共葬と考えられる。もし夫婦であれば四世代の夫婦が埋葬されたことになり、一家族が一古墳を長期にわたって使用していたことになる。
 
図72 鳥取県向原6号墳組合式石棺内人骨検出状況
図72 鳥取県向原6号墳組合式石棺内人骨検出状況

 
図73 鳥取県向原6号墳被葬者の埋葬順序と血縁関係
図73 鳥取県向原6号墳被葬者の埋葬順序と血縁関係

 埋葬された人骨の遺伝的形質から、弥生時代終末期~五世紀にかけては、兄弟原理に基づいて埋葬され、被葬者の配偶者は含まれず、出産歴のある女性も姉妹とともに葬られている。初葬者や一人埋葬者の男女比は、相半ばしていて、男系と女系の二種類が見られる。
 五世紀後半になると、男性家長とその子のみを埋葬するようになり、女性の初葬や一人埋葬は激減し、やがて消滅していく。
 六世紀前半~中頃になると家長の妻で、次世代家長の母が埋葬されるようになり、初めて夫婦が同一埋葬され始める(田中良之『古墳時代親族構造の研究』柏書房、一九九六)。
 竹並横穴墓群の場合、成人骨で見ると男・女埋葬は二四例で七七%を占める。男・男埋葬が六例で二〇%、女・女埋葬が一例で三%となり、兄妹、姉弟埋葬も考えられるが、夫婦の埋葬もかなりの比重を占めていると思われる。