今川・江尻川流域

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 今川上流域は、犀川町である。西岸の丘陵先端部に全長三七メートルの姫神前方後円墳がある。前方部は低く、くびれ部がやや締まり、古式の様相を示すが、後円部は円錐状を呈し、内部主体は後期の横穴式石室と考えられ、六世紀前半頃に比定される。本庄古墳は全長三〇メートルの前方後円墳で、現在境内に位置し、かなり削平を受けており、形状や内部主体は明らかではなく、六世紀前半~中頃前後に比定される。大熊一・二号墳は舌状丘陵尾根筋に二基縦列に築かれている。墳丘は高く、おそらく複室の横穴式石室と思われる。いずれも六世紀後半に比定される。七世紀前半頃に比定される三ツ塚方墳が、姫神古墳の北側舌状丘陵先端部に位置する。前面からは三段築成で、背後は側辺で段築が消え、二段築成となる終末期の方墳である。一辺二三メートルで、内部主体は明らかではない。
 今川中流域東岸に、直径二九メートルの大型円墳で、周溝を巡らす彦徳(けんどく)甲塚古墳がある。二段築成で、墳頂部は円錐状を呈し、六世紀後半に比定される。内部主体は明らかではない。甲塚方墳は六世紀末頃に比定される一辺四六×三六メートルの長方形墳である。複室の横穴式石室で、馬具、鉄鏃などが出土している。
 江尻川上流域の惣社古墳は北へ延びる丘陵先端部に位置し、全長三〇メートルの前方後円墳である。石室の石が抜かれ、腰石のみ残すが、単室の横穴式石室で、六世紀前半頃に比定される。北側に全長四〇メートルのヒメコ塚古墳がある。丘陵北東裾部に位置し、現在前方部は明らかでない。巨石の横穴式石室で、六世紀後半に比定される。
 ヒメコ塚古墳の西南側の丘陵の北側先端部に、全長二二メートルの小型前方後円墳がある。通(とお)り迫(さこ)一号墳は北側に後円墳、南に前方部を向け、前方部端は明瞭でなく、前方部は低く、後円部と高さは変わらない。後円部の北西側裾部に地下式横穴の竪坑入口が見られ、自然埋土で中に降りることができないが、玄室は後円部中心に向かっているようである。周辺の円墳墳丘裾部にも地下式横穴の竪坑が見られ、通り迫一号墳の内部主体も地下式横穴の可能性が高い。田川郡大任町の狐塚一号墳も前方後円墳で、内部主体の石室は見られず、横穴墓を構築している。通り迫一号墳のすぐ西側丘陵は一〇〇〇基の横穴墓群の竹並横穴墓群がある。通り迫一号墳が所在する丘陵にも通り迫横穴墓群が造営されており、竹並横穴墓群の被葬者集団とは異なる集団が営んだのが通り迫横穴墓群で、その首長墓が、通り迫一号墳と考えられる。未調査であるため副葬品や時期など詳細は明らかではないが、主体部を地下式横穴とすると時期的にさかのぼることも考えられよう。