祓川下流域東岸の丘陵上に、全長四〇メートルの隼人塚古墳がある。複室の横穴式石室で、武器、馬具、装身具、砥石などが出土しており、六世紀後半に比定される。周辺には穴田古墳群の四~五世紀の古墳群や、覗(のぞき)山古墳群は三〇基以上の後期古墳群がみられ、隼人塚古墳はこのあたりの首長層の古墳と考えられる。
この覗山を東に越えると周防灘に面する海浜段丘が広がる。この段丘状にある石並古墳は北東方に前方部を向ける帆立貝式前方後円墳である。全長六八メートルで、周溝を巡らす。石並古墳は稲童古墳群に含まれ、稲童二〇号墳にあたる。稲童古墳群は二五基からなり、円墳や方墳が四~五世紀にかけて造営されている。二一号墳は径二二メートルの円墳で、竪穴系横口式石室を内部主体とし、眉庇付冑や三角板・横矧板鋲留短甲、馬具、刀剣など豊富な副葬品が出土し、武人的性格の被葬者で、五世紀中頃に比定される。