唐の薄葬思想

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 大化の薄葬令が、唐の薄葬思想に基づいていることは、大化の薄葬の詔の冒頭に、『魏志』武帝紀・文帝紀の薄の詔文を引いて、その思想の拠りどころを示していることからも明らかである。
 中国の薄葬思想は、早くから発達しており、前漢以来歴代の皇帝は厚葬(こうそう)を禁じ奨励してきた。それは高塚古墳築造に伴う弊害で、高塚古墳の表飾に見られる石獣・石碑などや、墓室に多大な金銀財宝を副葬するなど財力を浪費することは、ひいては国力の疲弊につながることを憂慮したものであった。
 我が国では前方後円墳や方墳といった盛土工法や、長大な巨石の横穴式石室の構築も多大な労力を伴う。外表面には大量の円筒埴輪を巡らし、家形、馬形などの器材埴輪を樹立し、副葬品には金銅製冠帽や垂飾付耳飾、帯金具、飾履や大量の武器・甲胄を副葬している。大化の薄葬令は、こうしたことを規制し、あまり労力や財力のかからない、そして階層序列に則(のっと)った墳墓の築造に対する制限、葬儀についての秩序、旧儀礼に対する禁断を命じた喪葬(そうそう)制であった。