大化の薄葬令が、我が国古代における画期的な事象と歴史的評価されるところの一つ目は、蘇我氏に代表される中央豪族の専横をおさえて、身分秩序を明確にするというところにあった。
二つ目は、中国における隋・唐の整備された墳墓制度や、秩序ある葬儀式制度を導入して、我が国における古墳時代の厚葬思想を規制しようとするものであった。しかしこの制度は、中央豪族や冠位をもらっていた官人層を中心とするもので、地方豪族、とりわけ中小有力首長層は、その範囲から除外されていたものと思われる。
それは七世紀中頃以降においても地方では、小石室を構築し、盛土をする小円墳の群集墳を造営する集団が存在していることからも裏付けられる。
大化の薄葬令によって、死後の生活に対する観念の変化や葬送儀礼の変化を促し、群集墳の造営を衰退させた半面、畿内や地方の中小有力首長層たちが切石の横穴室石室や横口式石槨墳の造営を七世紀後半~末頃まで行なっていたことも事実である。