京都平野の終末期古墳は、西谷の古寺ノ上古墳、福丸・徳永地区の引石古墳、野口一号墳、願光寺裏山古墳と福丸古墳群がある。福丸古墳群の一部が七世紀後半まで残るが、大半は七世紀前半~中頃である。石室の形態から古寺ノ上古墳─引石古墳─野口一号墳―願光寺裏山古墳と変遷する。古寺ノ上古墳は、玄室天井石が一段高く、後期古墳の様相を残し、石材はやや小型であり、古相を示す。次の引石古墳は、天井石が同一の高さになり、巨石化するが、玄室平面プランは、長方形でまだ後期古墳の影響が残る。野口一号墳は、天井石同一高化、巨石化が見られ、玄室平面プランが正方形化してくる。七世紀中頃の願光圭裏山古墳は、整然とした疑似切石積石室となり、最も新しい石室と言える。