五世紀代の住居

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 鬼熊遺跡は市内南部、八景山と道場寺(どうじょうじ)山との中間地点、南泉五丁目地内の自然堤防地形上に立地する。この遺跡の八号住居跡は、南東辺が削平されているが、一辺七・三メートル程度の方形住居と推定され、かまどを北西辺の中央に持ち、べッド状遺構が三辺に巡る(写真5)。住居内からは、五世紀後半の須恵器とともに、伽耶(かや)系の縄蓆文(じょうせきもん)土器が出土している(写真6)。
 
写真5 ベッド状遺構をもつ住居跡(鬼熊遺跡8号竪穴住居跡)
写真5 ベッド状遺構をもつ住居跡(鬼熊遺跡8号竪穴住居跡)

 
写真6 鬼熊遺跡8号竪穴住居跡出土縄蓆文土器(胴部)
写真6 鬼熊遺跡8号竪穴住居跡出土縄蓆文土器(胴部)

 下崎ヒガンデ遺跡は市内西部、幸(こう)ノ山に程近い台地上に立地する。この遺跡では、一辺が約一〇メートルに及ぶ大形の方形竪穴住居が一軒検出されている(写真7)。かまどを付設しており、主柱穴は四本である。当時のこの地域の有力者が居住したものと考えられる。
 
写真7 下崎ヒガンデ遺跡の大形住居跡
写真7 下崎ヒガンデ遺跡の大形住居跡