渡築紫(とつくし)遺跡C区は、市内東部に広がる新田原(しんでんばる)台地の東、稲童(いなどう)地内に立地する。二三軒の竪穴住居と約一〇棟の掘立柱建物などが確認された(写真8)。この遺跡の方形竪穴住居の形態的特徴は、主に二種類ある。一つは主柱穴が四本ありやや大形で、一辺が五メートル以上の大きさである。もう一つは、柱穴がなく一辺が四メートル以下の小形のもので、稀(まれ)にかまどが方形竪穴の角にあるものである。
代遺跡Ⅱ-c地区は、市内東部の覗山(のぞきやま)から延びる台地上の高瀬地内に立地する。二九軒の竪穴住居などが確認された(写真9)。この遺跡での竪穴住居の形態的特徴は主に三種類ある。第一は、平面形が長方形を呈する大形のもので、主柱穴が四本あり、長辺七メートル・短辺六メートル程度のものである。第二は、正方形の中形のもので、主柱穴が四本あり、一辺四メートル程度のものである。第三は、正方形の小形のもので柱穴がなく、一辺三メートル程度で、かまどの痕跡(こんせき)をとどめないものである。 両遺跡に見られる柱穴を持たない住居は、屋根の下端部に土を盛って安定させる方式を採用していたと考えられる(図87)。