古墳時代には、水田・畑作農耕が発展し、コメ・ムギ・ヒエ・アワ・キビ・ダイズ・アズキ・エンドウ・ソラマメなど、現在とほぼ同じ穀物類や豆類を栽培し食べていたと考えられている。六世紀代のかまどの普及によって、穀類を蒸して食用とすることが容易となり、おこわなどが日常的に作られるようになった。
また、木本植物の果実としては、モモ・オニグルミ・トチノミなどが、動物では、シカ・ウマ・イノシシなどが、遺存体として出土しており、食用に供されていたと考えられている。
魚介類としては、渡築紫遺跡B区およびC区で、飯蛸(いいだこ)壺形土器や漁網用と考えられる棒状土錘が住居跡から出土していることから(写真10・11)、汽水域や近海に棲(す)む魚、または飯蛸といったものを捕って食していたと見られる。