養老令に規定された大宰府の官人は五〇名で、諸国とは比較にならない最大の地方官衙であった。たとえば、大国でも国司は、
「守一人、介一人、大掾一人、少掾一人、大目一人、少目一人、史生三人」
(『養老職員令』)
の九人である。それに対し、大宰府は、
「主神一人、帥一人、大弐二人、少弐二人、大監二人、少監二人、大典二人、少典二人、大判事一人、小判事一人、大令史一人、少令史一人、大工一人、少工二人、博士一人、陰陽師一人、医師二人、算師一人、防人正一人、佑一人、令史一人、主船一人、主厨一人、史生二〇人」
(『養老職員令』)
の五〇名にのぼる官人を擁した。このほか、書生や各種の雑役夫などまで含めると、いわゆる政庁関係者の総数は二〇〇〇名前後に達したと推定されている。また、一二名という四等官数は中央の八省よりも多い。主神や大判事以下は諸国では見られない官職であり、この存在は大宰府の特徴の一つになっている。このように、大宰府は律令制下における最大の地方官司であるだけではなく、その官人の相当位にも見られるように、八省に匹敵する一等官庁でもあった。とくに、主神が神祇官機能を果たしたのをはじめ、かかる官人構成から見ても大宰府の構造はまさに中央政府をそのまま縮小したようなものであった。
次は、府官人の待遇について触れることにする。「帥」は大納言につぐ高位相当者で、筑紫大宰の頃から皇族である諸王やまもなく大臣に昇進した高官などが任命された。「大弐」は正五位上相当官であったが、実際には従四位帯位者の任官が相次ぎ、延暦二五年(大同元年・八〇六)には従四位相当官に改制される。少弐以下も八省官人とほぼ同格であり、同じ外官(地方官)でも一般国司よりも相対的に高く位置付けられていることからも、大宰府は一等官庁であったことが窺われる。さらに、外官(地方官)にはその官職に応じて職分田やその耕作などにあたる事力が支給されるが、府官人には位階的には上位の国司よりも多く支給されるなど、全体的に優遇されている。そして、在京の諸官人・壱岐・対馬両島司以外の一般国司にはない年二回支給される季禄をも受給できるなど府官人は経済的にも優遇されていたことがわかる。