現在の行橋市は「豊の国」に属していたが、豊国は豊前国と豊後国に分かれた。豊前国の史料上の初見は大宝二年(七〇二)の戸籍である。また、豊後国の史料上の初見は『続日本紀』文武二年九月乙酉条であり、他国の事例も考慮すると、豊前国の成立も持統朝(六八六~六九六)の頃と考えられる。
豊前国の国府の所在地については、現在、旧仲津郡(豊津町の惣社・国作付近)とする説が最も有力である。なお、『和名抄』には「国府在京都郡」と記されており、豊津町は明治二九年(一八九六)までは仲津郡であったので、惣社・国作付近(仲津郡)→行橋市須磨園付近(京都郡)→行橋市草場付近(在庁屋敷の遺称地もある。仲津郡)とする三遷説や、行橋市津熊付近とする説がある。
一般に『和名抄』と略称される『和名類聚抄』は源順(九一一~九八三)が編集した日本最古の百科事典で、承平年間(九三一~九三七)に成立したといわれている。この『和名抄』には、郡名や郷名についてくわしく記述されている。以下、『和名抄』の当地方の郡と郷について見てみよう。
『和名抄』を見ると、豊前国には企救、田河、京都、仲津、築城、上毛、下毛、宇佐の八郡があり、各郡の郷(計四三)は次のとおりである。
▼企救郡(現在の北九州市門司区・小倉北区・小倉南区)=長野、蒲生。
▼田河郡(現在の田川市・田川郡)=香春、雉恰、位登、城田。
▼京都郡(現在の京都郡・行橋市)=諫山(いさやま)、本山(もとやま)、刈田(かんだ)、高来(たかく)。
▼仲津郡(現在の行橋市・京都郡)=呰見(あざみ)、蒭野(くさの)、城井(きい)、狭度(さわたり)、高屋(たかや)、中臣(なかとみ)、仲津(なかつ)、高家。
▼築城郡(現在の築上郡・豊前市)=綾幡、桑田、樢木、大野。
▼上毛郡(現在の築上郡・豊前市)=山田、炊江、多市、上身。
▼下毛郡(現在の中津市・下毛郡)=山国、大家、麻生、野仲、諫山、穴石、小楠。
▼宇佐郡(現在の宇佐市・宇佐郡)=野麻、酒井、葛原、封戸、向野、広山、垣田、高家、深見、辛島。