鹿児島神社は国府と同じ桑原郡にあり、平安期以後は正八幡宮となり、明治期に官幣大社に列し鹿児島神宮となる。鹿児島神社と八幡神は、早い時期から本来密接な関係であったと考えられている。神仏習合思想の流行と、各地に八幡神を勧請する風潮の高まり、さらには武士の台頭によって八幡信仰が隆盛するようになると、ほかの新しい八幡宮と区別するために鹿児島神社はあえて正八幡宮と称されたのであろう。鹿児島神社と八幡神との関係をこのように考えると、この神社は豊前国に所在する宇佐八幡と関連するものであり、宇佐から勧請したものではないかと想定できる。そして、大隅国桑原郡へはじめて八幡神を導入したのは豊前国より移住した二〇〇戸の人々ではないかと想定できる。