律令国家が地方支配の拠点として、各国に設置した役所が国府である。近年の発掘調査の結果によれば、国府が本格的に整備されるのは、八世紀第Ⅱ四半期から中頃にかけてで、一〇世紀に入ると、国庁の基本構造が変化したり、よそへ移転する例が多くなるようである。国府の中心には、方一町程度の区画で囲まれ、正殿や脇殿をコの字型に配置する国庁が存在し、ここでは、国司が日常の政務を執るとともに、様々な儀礼が行われた。また、その周辺には、行政などの実務を分掌する様々な官衙や、正倉・兵庫などの収蔵施設が配置される。さらにその周辺には、国司館、徭丁や工人などの宿舎、兵舎、国学、市、民家などが設けられた。
なお、従来は、主に歴史地理学の研究者から、国府は方八町程度の外郭線に囲まれ、その中に一町間隔の方格地割が存在すると想定されてきたが、現在のところ、明瞭な方形方格の地割が確認された例はない。それらを受けて、金田章裕1は、国府は、国庁と道路を核ないし軸として官衙群が配置された機能的な構造を基本とした機構であるとする新しいモデルを提起している(図1)。