豊前地域には、現在二つの古代山城が確認されている。一つは行橋市に所在する御所ヶ谷神籠石で、もう一つは近年発見された築上郡大平村の唐原(とうばる)神籠石である。いずれも、城壁の基底部に列石を並べる神籠石タイプの山城である。九州東部の周防灘沿岸に築かれた二つの山城は、唐・新羅軍の那大津(博多湾)上陸を想定した場合、九州における最後の防衛線に位置付けられる。御所ヶ谷神籠石は後で詳述するので、まず、唐原神籠石について見ていこう。
唐原神籠石は、築上郡大平村下唐原に位置する遺跡で、平成一一年に存在が確認された。
中津平野を望む、標高八三メートルのなだらかな丘陵に築かれ、全周約一・七キロメートルで、この種の山城としては最も小型のタイプである。外郭線には花崗岩の切石を用いるが、列石の多くは、直線距離にして約五キロメートル北の中津城の石垣に転用するため運び出され、現地に残るものは多くない。
列石はテラス状の削平地に配置されているが版築土塁や前面の柱穴は未確認である。一六世紀に列石が搬出の際に土塁を崩した痕跡も認められないので、土塁築造以前に未完成のまま築城工事を終えた可能性が高い。
水門三基のうち、これまで二基が発掘調査され、暗渠構造の排水施設が確認されている。また城内の第三水門付近で、三間×五間の総柱建物礎石が確認されているが、時期は不明である。
出土須恵器は、七世紀の築城を示すものであるが、詳細な時期については、今後の調査が待たれる。