調査・研究史

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 御所ヶ谷山中の石塁や礎石群の存在は江戸時代から知られており、元禄七年(一六九四)の貝原益軒の『豊国紀行』にも記されている。その後、伊藤常足(『太宰管内志』)、西田直養(『柳村雑記』、『筱舎漫筆』)、高田吉近(『豊前国志』)、渡辺重春(『豊前志』)らがこの遺跡について言及しているが、その多くは、この遺跡を『日本書紀』に見える景行天皇の長峡県の行宮と考えていた(伊藤常足はこれに否定的)。
 この遺跡を神籠石遺跡の一つとして認識し、学界に紹介したのは伊東尾四郎である。明治四三年(一九一〇)一月には、喜田貞吉、伊東尾四郎、宮崎栄雅が御所ヶ谷神籠石を踏査し、新たに門や列石を確認している。その後、昭和初期に文化財指定申請のため遺構の実測調査が行われた。
 平成二年に行橋市において御所ヶ谷神籠石周辺地域の史跡自然公園化構想が浮上したが、御所ヶ谷神籠石はそれまで発掘調査が全く手付かずで遺跡の範囲も不明確な状況であった。そこで史跡の実態を把握する目的で平成五年から行橋市教育委員会によって発掘調査が行われた。